劇場版すみっコぐらしで号泣おじさんが爆誕した

ネタバレいっぱいいっぱいなので一応注意です。備忘録とはいえネットは公共の場なので
あとクソ長いです











号泣おじさんになってしまった。わずか60分少しの映画だったが良いものだった。周りも泣いてたっぽいので僕の感性が特別狂ってるとかいうわけではないと思う
僕自身はTwitterで前評判をそれとなく目にしてしまっていたためまだ心の準備はできたが、子どもにせがまれて見に来たお父さんお母さん達はいきなりレバーブロー貰ったみたいな感じになったのではなかろうか 南無。

よさは色々ある。忘れてしまう前に書く
動いているだけでかわいい 揚げ物勢の足音 とんかつの俊敏さ タイタニック にせつむり王子のEDM 飛び跳ねて移動するとかげ サイヤ人襲来みたいに降ってくるシーン とか
笑いどころもかわいいところもふんだんにあって、良い子ども向け映画だった、と思う。子ども向け映画見た記憶があんまないのでわからないけど。



かわいいものを見ていると脳がチーズフォンデュになってIQが壊滅するので忘れがちであるが、すみっコぐらしという媒体に登場するキャラクターの背景はどれも割と暗かったりつらみがある(IQ低下)ものだ。
(白熊らしからぬ寒がり体質で逃げてきたしろくま、自らの正体が不明であるぺんぎん?、狩猟対象であるため正体を偽っているとかげ、はずかしがり屋で極めて気が弱いねこ、たまたま脂っこかったために食べてもらえなかったとんかつ)

その他にも、立派なブーケになることを夢見るざっそうなど、どこか切なさを喚起するようなキャラクターたちばかりだ。今作のざっそうはバチクソかわいかったのでぜひ見てほしい。ファンになりそう。ほぼ喋ってないけど絶対プリキュアの主人公になれそうなキャラしてる(幻覚)

閑話休題

彼ら(暫定表記:性別が意図的に薄く作られていると思われるので)は何かしら生きづらさを抱えている。それはアイデンティティに関わることがほとんどで、何より彼らを「すみっコ」に追いやった原因だ。たぴおかやほこりなど同種が沢山存在するものを除けば、すみっココミュニティ内に同族の存在はない。要するに自種族のコミュニティから落伍した、排斥された、出奔した者たちの集まりがすみっコだ。
「ここがおちつくんです」のキャッチコピーにもあるとおり、彼らは異種族でありつつも場所を共有しつつスローライフをおくっている。いわば生きづらいものたちの受け皿として機能している。

劇中、ぺんぎん?は自らの生まれも同胞もわからないことりに親近感を感じ仲を深めていく。寂しいからこそ人の寂しさが理解できるし優しくできる。言葉にするとチープな気がするが、ビジュアルと相まって心が浄化される思いがした。死んだ
個人的に一番の名シーンはひよこがひとりぼっちなのだと気づいたあとのすみっコ達の表情を映したところだった。それぞれが自身の境遇や背景を想い、それぞれ違った顔をしていた。ちなみにこのへんから泣き始めました。そのあと、絵本の外で共に生きるよう誘うシーンに繋がるのですが、皆寂しいし皆辛いし皆違っている、というコミュニティの中で、それでも寄り添って生きる優しさが凝縮されたシーンでした。とかげとか仲間にも出自内緒だし皆が皆完璧に理解し合ってるわけじゃない、でも優しいっていう なんか こう あれ おえっ(嗚咽)

結局ひよこは絵本の外には出られず、すみっコたちとは別れてしまうのですがこの辺は嗚咽を堪えてたのであんまかけません。なんなら今でもちょっとじわっときそう
救いがないようであるかもしれない、というラストで、個人的には割とすきです。登場人物誰一人として悪意がなかっただけに余計切なかったし綺麗だった。
エンドロールがずるすぎて涙腺が完全に死にました。絶対に許さないからな

なんならまだ見てない友達を誘って二回目も見に行こうかな、とすら思っている。まだオープニングなのにすすり泣きが聞こえたらワンチャン僕かもしれません。

良い時間だった

ヨルシカのライブツアー 月光 に行ってきた

興奮冷めやらぬ。最終更新がいつだったか忘れるレベルで投稿してないですけどこんなに情緒が乱れたのは久しぶりなので書きます。

ヨルシカファンにとって読んでいて気分のいいことばかりは
書いてないと思われるので注意です。かつライブそのもののネタバレもあります。備忘録なんだから自由に書きます、俺はちゃんと警告したからな。怒られても反応しないかもしれないぞ。


ヨルシカのライブにいってきました。念願でした。ハマってしばらくたった頃にあったファーストライブは新宿でしかやってなくて、一人で遠出したことのないビビリチキンな自分は泣く泣く断念したものです。何しろライブというものに行ったことなかったし当時ライブハウスの印象って魔境に近いものだったので。なんで?

ヨルシカのギタリスト件コンポーザーのn-buna氏のスタンス(自分たちが前に出るのではなく、ひとつの作品として見てもらう)は承知の上で、それでもライブをやるからにはなにかあるのだろうと思いつつ応募、運良く当選しました。神様ありがとう。大学をサボって突撃した物販は全滅しました。受注販売首を長く長くして待ってます。

結論からぶちまけます。生歌めちゃくちゃよかった。このライブは、作中二人の登場人物がお互いを想って書いた曲群、という設定で作られた2枚のコンセプトアルバムを扱ったものでした。前述したn-buna氏のスタンスを加味しても、それでも、それでも素晴らしい歌と演奏でした。ズボンの裾から心臓まで飛んでくる音の衝撃、CD音源とは違う声や視覚情報、最高でした。前日登山してて筋肉痛だったんですがそれを忘れて身体を揺らさざるを得ない興奮がありました。(n-buna氏及びボーカリストのsuis氏のお顔は努めて見ないようにしていました。全く見てないわけではないですがぶっちゃけ今は覚えていません)

以降苦言というかマイナス方面の感想です。
MC代わりのあの詩、要ったか……?という感じでした。例え、生みの親としてのクリエイター、ボーカリストの印象をつけない、という方針でも、ライブゆえの良さを鑑みれば生歌生演奏を披露してくださるのは嬉しいことです。個人的に。なぜならボーカリストが存在することは既に承知の上で(当たり前やろ)聴いているので。
ただ、今までCDを通じて視聴していた曲は、登場人物たる男女が作った(という設定の)曲は、全てボーカリストたるsuis氏が歌っていたものです。主観的なアレで申し訳ないのですが、まあ許容範囲内でした。というかそうでないと曲聴けませんね。曲だからね。
ところがわっしょい今回は(恐らく)n-buna氏の独白にも似た詩の朗読が随所に盛り込まれていました。なるほど世界観を補完するには良い手法で、コンセプトアルバムを聴ききっていないお客さんにもバックボーンは把握してもらいやすいだろう…………………と思うのです。
が、どうしてもなんとなく白けるというか、真顔になってしまうような印象を受けてしまいました。楽しんでいた方々及びヨルシカ関係者の方には申し訳ないような気も

まずバックグラウンドなんてコンセプトアルバム聴いたらある程度わかるし、「曲聴いて……想像すれば……ええやん……」って思うし想像の余地が残されていた方が嬉しい自分みたいな人間からするとなんか こう あれでした 余計な補完というか あの 同じ理由で ノーチラスのMVも あの 曲めっちゃ好きだし正直泣いたんですけど というか車運転中に流して泣いて危なかったことすらあるんですが あの そんなとこまで明確に描写しない方が あの はい みたいな感じでした

あと、演ずる人間、肉としての人間の話なんですが。これまでエイミーもエルマもsuisさんの歌でしか肉声、生きた声としては存在していなくて、アルバムの初回限定盤についてきたバックボーン補完用の手紙や日記は筆跡でしたなかったわけです。そこへライブでのエイミーの書いたであろう詩読み上げときたので頭がショートしてへんな誤動作起こしました。多分文字のみであればよかったんですが、読み上げで肉付けされてしまうとどうしても違和感の方が勝っちゃうなという感じでした。ごめんなさい。

勘違いしないでほしいんですが結構ひどいこと言いつつもヨルシカは大好きです。めちゃくちゃ好きです。MCもアンコールもなくやりきった姿勢には感動すら覚えますし、作品を作品として見せようとするスタンスもすごく好きです。とても好きです。メリューとか夜明けと蛍くらいからずっと好きですしこれからも追います。アルバムは予約するしライブは応募するしファンクラブにも入ってやるからな覚悟しろよよろしくお願いします応援してます。
めんどうくさいオタクですごい申し訳ないんですがグオオオオってなったので書き散らした次第です。公式が解釈違いって一番生きづらい人生だと思いますがそれほどでもないです。ヨルシカは最高です。

もしまたライブやるならただ君に晴れとかカトレアとか、前のミニアルバムの曲も聴いてみたいな。それまで頑張って生きようと思います。

余談ですが、「ただ君に晴れ」の2サビ、「俯いたまま大人になって」の「なって」の歌い方が優しくて好きすぎて好きです(IQ2)。打って変わってラストサビの「追いつけないまま大人になって」の「なって」は力強くて好きです(語彙力無し)。「な」の発音の違いに注目です。とても良いです。一度聴いてみてください。わかって。わかれ。

https://youtu.be/-VKIqrvVOpo


追記
ちゃんと手紙とか日記とかインタビュー読み返したところ
「だから僕は音楽をやめた」はエイミー作詞作曲、エルマ歌
「エルマ」は作詞作曲歌エルマっぽいですね 結局全部エルマが歌っていたものとすると生のエイミーの声は今回が初出だったのか となると うーん
違和感の正体はなんだったのだろうか めんどうくさいオタク感満載でアレなんですけど 死んだエイミーの遺した足跡や詩や音楽だけで想像を膨らますこと、逆をいえばそれ以外に思い出しか残さずいなくなったことにエモみ(語彙力0)を感じていたがゆえの違和感か……?なんだろう 同じように思う人がいたら色々喋ってみたいな

グラブデブ重量二脚

 タイトルの意味がわかる人はちょっとすごい。身体はこんなに闘争を求めているのだから毎秒新作開発しろホラホラ。隻狼は買います。

 重いことばっかり書いてたのでアホなことも書こうと思いたった。ただただ僕のケツがでかいと言うだけの話なので時間を持て余している人にしかおすすめしません。具体的なケツデカエピソードは和式便所の記事を参照してください。和式便所に座れない - バイタリティ欠乏症

 先日弟がZOZOスーツ着てるところに出くわしました。部屋からいきなりドット柄の全身タイツ男が出てきたので危うく持ってたコーヒーをぶちまけるところでした。一瞬新手の変態プレイかと思った。だが兄は許そう。

 

 ご存知でしょうかZOZOスーツ。なんでもそれを着てくるくる回りながら写真を撮るとスリーサイズどころじゃなく身体中計測できるというものです。腕の太さとか股上とか。残念ながら月にはいけません。で、それを元に服を買ったりするんだそう。テクノロジーってすごいね。

 僕が大声出したせいでお披露目会(?)が始まり、弟は羞恥プレイ童貞を卒業した。童貞じゃないかも。知らんけど。それでも兄は許そう。

 お前も着ろ、という弟のアレとやけにノリノリだった母のせいで僕も着ることになった。母が測定用のスマホをセッティングしてあれこれ指示を出し始めてしまったので、結果的に僕も羞恥プレイ経験者となった。大人の階段をあさっての方向へ駆け上がっている気がする。

 で、計測終了。別に服買う予定はないんですけど大体のサイズ知ってると便利そうだねなんて言いながらチェックした。


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脅威のヒップ1m超えである。思わず笑ってしまった。下半身のデブさには定評のある(?)僕であったが数字としてはっきり出ると破壊力がすごい。道理で炬燵の中で寝返り打てないわけだ。太腿もすごい。彼女のウエストより太い。ボンレスハムか?そういうことなのだろう。めでたくタイトル回収である。

 あまりにバランスが悪いので上半身を鍛えようかなとすら思った。三日坊主なので当てにはならない。

 いかがでしょうかZOZOスーツ。別に回し者ではないんですけど割と便利なんじゃないかなと思いまんた。あったサイズの服紹介してもらえるし、買い物が効率的にできそう。

 こういうしょうもないブログの話の種くらいにもなるし。僕のジェネレーターはジャンク品なのでグラブできないただのデブです。まずは食うのをやめろ。

 

ではまた。

繁殖に向いてない

お久しぶりです。

 従兄弟に子どもが生まれました。部活のデスレースイベント景品として獲得した哺乳瓶とおしゃぶりを無理矢理押し付けたのが二ヶ月くらい前。送られてきた写真見たら顔パンパンで笑った。ちょっと早産だって聞いてたのにしっかり顔だけはでかい。ともあれおめでとう。

 先日成人式後に同窓会へ行ったとき、子どもを連れてきてる同級生がいた。二歳。今は二人目妊娠中だとか。

 

 その手の話を聞いてるとどうしても自らの子を作ることを考えてしまう。もう二十歳ですし。いや結婚してからものを言えという話だが。

 

 周りの「子どもを作った人」に聞いてみたいことがある。

「なんで子ども作ったんですか?」

いや煽りとかじゃなくて本当に。切実に、どういう考えでその行為に至ったのか知りたい。

 まさか「少子化対策に貢献するため」なんて心の底から言う人はいないだろう。同じ理由で「社会のため」も。人が産みたいと思ったから産むんであって、子どもが育っていくために社会があるなら順序逆じゃね?と思うのである。クソガキの戯言なんで流してください。

 自分と同じように、考えたり悩んだり喜んだり苦しんだりする生物を自らの手で作るって怖くね?怖くないですか? 100%幸せになる根拠があるわけじゃなしこの世はクソに満ちている。生きてる以上いろんな苦難があると思うんだけど、親が責任を持ちえないその辺のことを子どもに丸投げしてまで生む意味ってなんだろうかと思うのである。

 「幸せになるかもしれない」は楽観的にすぎる。だって僕も奥さんも人間だし、その先ずっと健康で仲がいいかなんてわからない。実際親の不仲が原因で貧困に喘いでたりする子どもがどれだけいるのか? ついでに虐待なんかもあるね、まこと人間はクソである。

 産まれちまったが故にそんな重荷を背負わすかも、ということを考えたら軽率に子ども欲しいとか言えなくなりそう。下手したら奥さんそれで死んじゃうわけだし。死ななくとも多分めちゃくちゃ苦労するし。別に育児を丸投げにすると言ってる訳では無いです。性別的に産むのは向こうなので。

 だから、「なんで子ども作ったんですか?」は割と真面目に尋ねてみたいのである。

 

 僕に責任感がないだけなのかもしれないが、実際永遠の愛を誓って離婚する人もいるし同族である以上自分自身も信用に値しない気がする。子どもをもつべきではない人間は確実に存在する。

 二人だけの愛の結晶、と言えば聞こえはいいけど、別に愛の結晶が子どもである必要性はないわけだし。あるのか?僕にはわからん。

 子どもを持ってみればわかる、という意見は無責任極まりないと思うので勘弁して欲しい。その人と僕が同じとは限らないし、わからんけどやってみっか、で作るには命は重すぎる。頼むからクソガキにもわかるように説明してくれ。

 

 だが若いからわかってないんだよ、と言われたらまあ仕方ない気はする。これから生きてて考えは変わりうるので。僕に子どもができるとしたら、なにか納得のいく答えを見つけたか、見つからないが相手との間に欲しくて我慢できなくなったかのどちらかである。今のところ。

 後者の場合はありとあらゆる行為が贖罪となりうるので、自分の都合で作ってしまってごめんなさい、どうか可能な限り幸せになってくれと思いながら育て生きることになるんじゃないかな。

 

 いずれ酒を飲んだときにでも聞いてみたい。「パパとママはなんで俺を作ったん?愛の結晶?なあ愛の結晶?」と。

 呆れる顔が目に浮かぶようだ。でも誤魔化さず教えてほしいとは思う。孫の可能性がかかってるので。

果たして孫の顔を見せたいのか

 元気にクソガキやってます。鍋太郎です。特に長いし気分が悪くなるかもしれないから気をつけて下さい。

突然ですが以下お付き合いしてくれている彼女の台詞です。

 そもそも私は子供を欲しいと思ったことがあるだろうか? 自分の苦しみや負担だけを考えて生殖を選択しないというのは許されることなのか?

  自分に向けられたものじゃなくて独白に近いものだったのだけれど、考えるきっかけになったので備忘録をつける。そう忘れるものでもないと思うけど

 

以下長い前置き。僕の家の話。

 

 僕の祖父は芸術家である。勿論その類の人がどうとか言うつもりではないのだけれど、所謂典型的「芸術家」イメージに近い芸術家だった。アレです。ツボを焼いては満足いかずぶん投げて粉々にする系の。偏見だったらごめんなさい。

 始末の悪いことに、ストレスの矛先が周りに向かうタイプの人間だった。それでおばあちゃん(僕の祖母で祖父の妻。以下おばあちゃんと呼称)に暴力を振るい、酷い時には腕の骨を折るに至るまで痛めつけた。

 結果おばあちゃんは家を出て、息子であった親父は俗っぽい言い方をするとグレた。家にもほとんど帰らなかったらしい。その弟である伯父は家を飛び出したっきり帰ってこず、僕もその存在を数年前知ったばかりである。今もどこにいるのかは知らない。まあ知りたいとも思わない。

 今の親父と祖父との間柄はまあ普通。親父が流派の襲名をしたこともあって、一緒に稽古をしたり催物をするくらいの仲だ。ただその裏にどんな感情が渦巻いているのか知らないけど。

 義理の祖母(祖父の再婚相手。以下義祖母と呼称)はよくしてくれている。というか高校に入るくらいまではその人が本当のおばあちゃんなのだと思っていた。血の繋がった祖母のことはどっかの親戚だと認識していた。その人に向ける「おばあちゃん」という呼称を「祖母」としてではなく、「単なるおばあちゃん」として使っていたように思う。「叔母」である「おばちゃん」と、「中年女性」である「おばちゃん」の違いといえばわかりやすいだろうか。

 

 大学と向こうの居住地が近かったこともあって、入学をきっかけにおばあちゃんと親しくし始めた。初めて向こうの家にお邪魔した日の帰り際、向こうがいきなりしくしく泣き始めるのを見たとき、戸惑いと同時になんとなく吐き気がこみ上げた。

 おばあちゃんへの憐れみでも、祖父への怒りでもなんでもなくて、ただただ気持ち悪かった。「孫に会えたので泣く」というハートフルストーリーによくありそうな状況がえげつなく歪んでいる気がしたから。多分。わからん。

 今でも親父はどこかで祖父を憎んでいて、酷く酔ったときとか憤ったとき、また児童虐待のニュースを見たりしたときなんかに滲み出るように現出する。

「虐待を受けた人間は同じことをする」

なんて説があるけど、親父はその衝動があることを自覚していて必死に抗っているようでもある。人に、特に家族に矛先を向けないようにしている。本当に怒らせた翌日なんかはリビングの壁がへこんでいたり椅子の足が一本なかったりする。借家じゃなくてよかったね。そういう話ではない。

 

長い前置きだった。

 

親父には半分、僕には四分の一祖父の血が流れていて、また祖父が原因で祖母と親父、伯父がどうなったかも知っている。「家族」ということを考えるとき、それらは絶対頭のどこかをちらついて、無論子どものことを考えるときも例外じゃない。

 冒頭の彼女の独白は「子どもをもつこと」に関するものだったけど、こっちのは「家庭をもつこと、誰かと寄り添うこと」に対するおそれと不安だ。そもそも今彼女によくできているのかに懐疑的ですらある。

 世帯をもったり、子を授かったりすることならなおさらで、それは「適さない人間」が「適さない関係」を結んだときにどうなるか一応知ってるからだ。自身が虐待を受けていた人からすると生ぬるいにも程があるけど、それでこわいものはこわい。自分が地獄の担い手になってしまうかもしれないのがこわい。未来は不確定なので。自分がそういう「適した」人間なのかどうなのかさっぱりわかんねーんだもんよ。誰か教えて

 

 

 

 今でもおばあちゃんが僕と話していて不意に涙ぐむのを見ると悲しい。テレビでよくある美談なんかでは全然なくて、そもそもそういう状況は地獄の産物であることを実感させられるからだ。おばあちゃんが悪い訳では無いだろうから余計悲しい。

まあそれはそれとして、いずれまたいっぱい飲みに行こうなという話をしている。元気でいてほしい。

 

 

 ぼやぼや思ったことを書いただけなのでいずれまた追記したりするかもしれない。最高級に疲れた頭で書いたので色々許してください。

舌打ちを俺に聞かせるんじゃない

 ラノベのタイトルみたいになってしまった。

 ストレス社会で生きる皆様お久しぶりです。読んでいる人がいるのか知りませんが少なくとも僕の心の中にはいます。

 本題。

 アレ   意識してないとつい出ちゃう。チッって言ったあとにあーーーっっっってなることもたまにある。

 僕はあれがどうにも嫌いだ。苦手じゃなくて嫌い。「舌打ち」が、というよりかは「舌打ちを他人に聞かせる行為」が嫌い。でもやっちゃうことも稀にあるので申し訳なさはある。気づいたあとの自己嫌悪がすごい。

 

 なんで無性に気に食わないのかちょっと考えたんですがアレって「自分は機嫌が悪い、ということを周りに察させる行為」なんだよな。いや個人の感じ方の差はあるかもしれんが少なくとも僕はそう思う。「俺は機嫌が悪いから原因と対処法を考えて俺の機嫌をとれ」って卑怯じゃないですか?

 というかめんどくさい。そんなコミュニケーションが成り立つのは舌打ちする人への好意が上回ってる間だけで、いずれめんどくささが勝って嫌になってしまうと思う。

  別に知り合い相手じゃなくても。例えば駅のホームでちょっとぶつかったときの、とか。「あーーーーおめーのせいで気分悪いわああああ」って言われてるのと変わりないんですよね。相手に明確に非があるわけでもないなら傲慢がすぎる。

 

 で。

 最近ちょっと気をつけてることとして、「機嫌が悪いなら機嫌が悪いこと、理由、対処法を自ら伝える」ということがある。そのまんまの意味です。

 「僕は今バイト終りで疲れており、また極めて空腹なので機嫌が悪い。飯の話をするんじゃない。さもなくば焼肉を奢れ」

 とか。

「今君(彼女)から他の男の話を聞いて気を悪くした。妬くからやめてほしい」

とか。どんだけ幼稚な理由で怒ってるんだと思われるかもしれないんですが返す言葉もございません。クソガキですみません。

 無論伝え損ねることもよくあるんですが、悪いことしたなあと思って後でかなーり反省します。よく母親にやっちゃう。お母さんごめんなさい。

 

 とはいえなんかわからんけどめっちゃイライラすることってありません?僕はある。ありますよね?あるって言えよ。

 ともあれ僕はある。そのときはどう説明したものかわからなくて難しいんですけど、それでもできるだけ伝えたいなあと思っておる。せめて原因以外は。気がたってるからほっといてくれとか。

 

 舌打ち、一人でいるときにするならなんら問題は無いと思う。僕もオンラインゲームで煽られたりするとよくやる。人前なのにうっかり、って言うのに気をつけたい。

 

 機嫌が悪いときでも自分の制御をしようね、できなきゃしばらく一人になれという話でした。頑張って生きよう。

和式便所に座れない

 これは下ネタに分類すべきだろうか。ネタにするほどではないのだけれどまあ題名の通り。

 僕は和式便所に座ることができない。

 洋式と比べて和式は便器に直接触れることは無いし、腹筋に力を入れて踏ん張りやすいらしい。いいとこづくめじゃん。ええやん。

 

でも座れねーんだよ。後ろにこけるから。

 

 いや別に身体的にどっか不自由なところがあるわけじゃない。じゃないんだけど。

 なぜか座ることができない。なんで?なんで皆平気で座れるの?なんで?

 

 爪先立ちすれば用をたせないこともない。でもしんどい。だから前に手すりとかついてるとすごくすごくありがたい。あれは身体的にハンデを負ってる方々及び僕のために存在する。手すりバンザイ。

 ネットで調べたらどうやら三つ程原因があげられるそうだ。

  1. アキレス腱、ふくらはぎや太股の柔軟性がない
  2. 足腰が弱っている
  3. 股関節が硬い

 足腰は流石に弱くねーよ!!

流石に登山趣味でそれは悲しい。だとすると1と3が怪しい。体硬いし。ストレッチでもした方がいいのかな。

 いきなりだけど僕はケツがでかい。デブだから。着流しとか無理。デブだから。帯が食い込む。デブだから。後ろに重心がいってう⚪こ座りできないのかもしれない。デブだから。

 痩せろ。はい。

 

 骨格が骨格なので肉は削げたとしても結局ケツでかいままかもしれない。安産型なので。

 せっかく安産型なんだからなにかに活かせないかな。もし結婚することがあったら僕が子ども産むとかどうだろう。男も子ども産めるようになってるかもだし。あちらさんも安産型だけども(飛び火)体力考えて。

 まあ流石にそこまでの技術進歩はないだろう。結婚できるかもわかんないし、今のところはケツを持て余しながら生きていくしかなさそうです。頑張ります。

 

 う⚪この話したあとに出産の話すると謎に罪悪感がある。しんできます。